酔っぱライタードットコム - 造り手訪問/富士錦

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「富士錦」の蔵を訪ねるのは今回で3回目である。1回目は、雑誌で「温泉と地酒」の連載をしていたとき、同じ芝川町内にある「翠紅苑」という温泉宿と一緒に取材した。「翠紅苑」には、宿の名を冠した日本酒があり、それが「富士錦」のお酒だったのだ。2回目は、テレビ番組のロケで伺った。蔵の裏へ行くと雄大な富士山が目の前に迫り、その景色をバックに清(せい)信一社長とお酒を酌み交わしたのだった。
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今回も宿泊は「翠紅苑」。ここは東海道線の富士駅から身延線に乗り、35分の芝川にある。宿には檜より贅沢だと言われる「かやの木風呂」があり、とてもいい香りだ。もちろん露天風呂もある。湯船を満たす温泉は、肌あたりの柔らかいアルカリ泉である。飲むのは「富士錦」の本醸造生酒。柔らかく、優しい味わいだ。

78年かけて湧き出す仕込み水


翌朝午前5時、まだ暗い中、タクシーを飛ばして「富士錦」へ向かった。「翠紅苑」から20分ほどで到着すると、事務所の前で清社長が待っていた。これから麹室で作業があるという。

麹室は4つあり、そのうちの2つが吟醸用である。土蔵の中にあり、まわりに籾殻が入った昔ながらの室だ。中では5人がかりで切り返しや、床もみの作業をしていた。基本的には手造りだが、ハクヨーの三段式製麹機が1つ、ロボットが1つある。このロボットは、静岡酵母の生みの親である河村傳兵衛氏と、先代社長とメーカーによるオーダーメイドで、世界にただ一つの機械である。

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「この機械は『つきはぜくん』といいまして、杜氏の技術を残すために、人の手と同じ動きをロボットにマスターさせ、プログラムしたものです。麹のタイプによって、別々のデータを打ち込んでプログラムを作れるんですよ。名前の通り、つきはぜの、なかなかいい麹ができます」と清社長。

この日は稼働していなかったが、10キロ盛りの箱が20個あり、一度に200キロの麹ができるという。夜中も休まず、一人で検温から手入れまでしてくれるすぐれものだ。

仕込み蔵は昭和2年にできたもので、最大2トンのタンクが並ぶ。大きな仕込みではないので、手間と日数がかかる。蔵にスペースがないので、搾った酒はどんどん詰めて冷蔵庫に入れているという。「瓶詰めされたお酒はプラス4度で保管します。4度はお酒の容積が一番小さくなる温度。分子の隙間が密になり、外界からの影響を一番受けにくい温度です。そのため、常にこの温度帯で保存すれば、年ごとにおいしくなるのです」

釜場では、そろそろ釜に火が入ったようである。この鋳物の和釜に甑という伝統的なスタイルが、清社長の自慢だ。釜場が半分屋外にあるのは、戦争中に空襲の目印になるからと、煙突を倒したためである。蒸し米はクレーンでつり上げる方式。ちなみに仕込みはエアシューターで行う。「省力化をするところはして、人の手が必要なところは存分に手をかけられるようにと考えています」

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ここで米が蒸し上がるまでの間、朝食タイムになった。朝食は蔵人さんたちと同じもので、なんと清社長の奥様の手作りだとか。蔵の仕事はきつく、家族と離れて休みのない毎日。食事はそんな毎日のささやかな楽しみだ。だから、「富士錦」では、蔵人の体調や顔色を見ながら毎回手作りしている。その数は一回に20食分にもなるという。
 
では、「富士錦」のお酒を味わってみよう。「しぼりたて原酒」はアルコール度数が20度もあるのだが、全然アルコールっぽさがない。コクがあり飲み応えはあるのだが、サラリと喉を通っていくのだ。「本醸造」はソフトで飲み口が軽く飲みやすい。「純米酒」は、酸がしっかりとありながら、まったくゴツくない。冷やでもいけるが、お燗によさそうだ。「純米吟醸」はやや酸があり、なめらかで飲みやすい。「大吟醸」は、華やかな香りでフルーティーな味わい。たびたび金賞を受賞しているだけあって、文句なく旨い。

「全体的に、優しくソフトで旨みのあるお酒ですね」と言うと、「それは、うちの仕込み水の特徴でもあるのです」と、清社長は図解をして説明してくれた。「富士錦」があるのは標高270メートル、富士山の0.7合目にあたる。30メートルの井戸から汲み上げているのは、溶岩層の第三層にある水。その水は、雪や雨が富士山にしみこんで、78年かけて三層の溶岩を通ってきたものなのだ。「飲んでみますか?」と言われ、仕込み水を飲む。あ、甘い!そして軟らかい!これが「富士錦」の旨さの秘密だったのだ。

「変革」こそ「伝統」の本質


かつての「富士錦」は、160石くらいの小さな蔵だった。小作人に作らせた余った米で、副業として酒を造り、馬を引いて地元に配るようなのんびりしたものだった。戦後、農地改革や企業整備などの苦難を経て、6年間の休業後、昭和26年に酒造りを再開した。その頃はほかの酒蔵と同じように、普通酒を造っていたが、米余りの時代に「昔ながらのお酒に戻したらどうか?」と考え、「コストを下げるのではなく、高品質なお酒を造ろう!」と、他の蔵に先駆け、いち早く純米酒を造ることにした。

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しかし、ずっと造っていなかった純米酒。国税庁に聞いても、工業技術センターに聞いても造り方がわからない。杜氏と社員の二人三脚で、まさに手探り状態で造った酒だった。

当時はまだ「純米酒」という名称すらなかった頃なので、「天然醸造」という名前にし、昭和46年に売り出した。「富士の湧水と米だけで醸造した生粋の酒」というのがキャッチフレーズだったが、これが特級酒より高いうえに、味は辛くて厚みのあるくどい酒で、なかなか売れなかったらしい。しかし、研究に研究を重ね、だんだんと品質が上がり、そのうち評価も高まっていった。これがきかけとなって、蔵も大きくなり、現在の2500石になったのである。

「『富士錦』には、こうした一歩先んじる気風があるのです。それは麹ロボットにもつながっている。古いことを大事にしながら、新しいものにチャレンジする姿勢が、伝統の本質なのではないでしょうか」と清社長は言う。

そういう清社長も、異業種から酒業界に入った人なので、チャレンジ精神は旺盛だ。もともと理工系出身でコンピューター関係の仕事をしていたのだが、酒蔵の娘と結婚したことから運命が変わってしまった。「富士錦」の跡取りだった清家の長男が、交通事故で急死してしまったのだ。そこで急遽婿入りし、酒蔵を継ぐべく蔵へ入ったのが、平成8年のことだった。

清社長が来てから、数え切れないほどの改革をしたという。まず、蔵内を禁煙にし、朝礼を始めた。お酒ごとの原価管理をきちんとして、どんぶり勘定から脱却した。社内LANを引いて、コンピューターによる販売管理もするようになった。「もともと一般消費者ですから、そういう目から見ると、おかしなところがたくさんあった。情報公開もその一つ。見学コースこそないけれど、来た人はウェルカムです。見せないほうがおかしい」と言う。

清社長が蔵に来た年に始まったものに、「蔵開き」のイベントがある。お酒の試飲と蔵の見学が基本だが、地元のそば粉で打ったそばを出したり、地元の養鱒場で育った鮎の塩焼きを出したり、地域の伝統舞踊の発表会があったりと、完全地元密着型のイベントになっている。今では1日で1万2000人が来場するという。「町から補助金を出したらどうかという話もありますが、独自にやっています。うちに来ると、富士山が本当にきれいに見えるので、それだけでもみなさんに喜んでいただいていますよ」

じつは清社長が社長になったのは平成19年のことなので、これからたくさんやりたいことがあるはずだ。「『富士錦』には、頭が良くて優秀な人材が多いので、もっといろいろなことができるはずです。彼らの力と意欲を引き出すのが私の仕事だと思っています。お酒に関しては、『人に愛される蔵』が目標です。生活の中にあたりまえのように『富士錦』があるようになればいいですね」

清社長が率いる「富士錦」は、日々変革しながら、旨い酒を造り続けているのである。


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富士錦酒造株式会社
創業元禄年間(1688〜1704年) 年間製造量2500石
静岡県富士郡芝川町上柚野532
0544-66-0005
http://www.fujinishiki.com




1翠紅苑 静岡県富士郡芝川町内房385 TEL 0544-65-0366
2麹室
3麹ロボット「つきはぜくん」
4吟醸蔵
5湯気を上げる甑
6蒸しとり
7仕込み蔵
8搾りたてを飲む
9富士錦のお酒
10利き酒
11清社長とともに

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