酔っぱライタードットコム - 造り手訪問/雨後の月

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「雨後の月」は、日本酒初心者の頃よく飲んでいて、今でも大好きな酒である。典型的な広島型の酒で、香りよく米本来の旨みを生かした豊醇な酒質は、初心者にもわかりやすく、誰が飲んでも旨いと言わしめる力がある。

社長の相原準一郎さんには、お酒の会で何度かお会いしていたが、ゆっくりお話しする機会はなく、親しい間柄ではなかった。しかし、大好きな酒ゆえ、どうしても見学したいと頼みこんで、今回の取材が実現したのである。

米から造りまでこだわった麹造り

取材前日の夜、「じつは親しい人と利き酒をする会を予定しているのだけれど、江口さんも来ますか?」とありがたいお誘いをいただいた。場所は呉市内の「山作」という小料理屋。「雨後の月」を購入後、独自に熟成させたものを中心に、今では手に入らない幻のお酒を持ち込んで、利き酒の開始である。

まず平成5年の「大吟醸 櫂」。呉市の酒好きが集まって、酒米から手造りした酒で、限定500本のうちの1本だという。しかし、これは管理が悪かったのか、ややカビ臭がして酒質が落ちていた。

次は「電光石火」のにごり生。「電光石火」も思い出深い酒で、初めて飲んだときはその旨さにぶっとんだが、にごりを飲むのは初めてだ。これは香りが高く、甘みもあり、想像通り旨かった。

次は平成2年の「特別大吟醸」。これはコクと熟成感があり、大化けしていた。激ウマ! 県外向けの「辛口純米」もいただいた。後を引く味で、とても料理に合う。この日のお料理は、フグの刺身に唐揚げ、松茸の土瓶蒸しという高級な食材ばかりだったが、これらの料理をみごとに引き立てていたのはさすがである。

相原社長は「しっかりした酒でないと10年以上もたないですよ。『辛口純米』などは、常温でほったらかしておいてもまず大丈夫です」と胸を張った。こんなすごい酒をどうやって造っているのか。明日の取材が楽しみになってきた。  

するとさっそく、「明日は化粧しないで来てくださいよ」と釘を刺されてしまった。私の使っている化粧品は、味や香りがまったくなく、石けんで落ちる特殊なものなのだが、まあいい。翌日は、言われたとおりノーメークで、夜明け前の暗いうちから蔵を訪問した。

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蔵では麹室で切り返しの作業が始まっていた。ほとんどの蔵は、ここで切り返し機を使うのだが、「雨後の月」は違っていた。網の上に麹米をのせ、手作業で麹をパラパラにするのだ。重労働だが、このほうが、きれいに仕上がるのだという。麹は基本的にすべて蓋で造る。しかも、麹蓋には布が敷かれ、その上に麹を盛るという独特のスタイルをとっていた。布はすぐ洗えるので、このほうが雑菌に汚染されず、雑味のない酒ができるのは明白だ。麹室にはまったく機械はなく(なにせ切り返し機もないのだ)、完全な手造りであった。

やがて米が蒸し上がった。甑から掘り出し、手で運んで竹簾の上で冷ます。麹米は放冷機を通さないで自然放冷なのだ。「うちで使用している米の85%は酒造好適米で、なかでも麹米は100%好適米。しかもすべて山田錦か雄町の特等米以上を使っています。」と言うように、麹にはとことんこだわっているようである。

仕込み室には、1200~1300キロ仕込のやや小さめの開放タンクが並ぶ。酒母用の小さなタンクもあり、これは枝おけといって、一段目の添え仕込みに使用する。「うちでは大吟醸だけでなく全部枝おけで初添を造ります。手間がかかるので、暖かい地域でこれをやっている蔵は少ないけれど、ベストな方法があれば、それを選択する。できるだけ、理想に近づけ、手間を惜しんではいけないと思っています」

槽場は冷房室になっており、0度で搾ることが可能だ。貯酒室も冷蔵庫になっており、生酒はおり引きをしてマイナス5度で貯蔵する。火入れのものも、レギュラーはタンクで5度の冷蔵庫で、それ以外はすべて瓶火入れし、3度の冷蔵庫に瓶貯蔵している。「お酒は搾ってからが勝負。飲み頃がピークになるように、ベストの時に火入れをするよう心がけています。造りがいいのは当たり前。そこからどう管理をするか。いくらいいものができても、商品にするところでできないと、すべてが無駄になってしまいます」

高品質の酒に早くから取り組む

蔵見学を終えたところで、利き酒をさせてもらった。「雨後の月 吟醸純米酒」は、飲みやすさの中にも米の旨みがしっかりとあり、キレも良い。「雨後の月 特別本醸造」は、味、旨み、甘みがあり、純米酒のよう。どちらもいい酒である。酒母室で見せてもらった桃色酵母を使ったお酒、「微紅」も飲ませてもらった。アルコール9%の低アルコール酒だが、甘酸っぱいよくあるタイプとは異なり、酸味がありドライ。どんな食事にも合いそうだ。今まで飲んだ低アルコール酒の中で、ダントツの出来ばえ。

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ひとしきり感心していると、相原社長が「特別に・・・」と大吟醸の20年ものを出してきてくれた。瓶で地下貯蔵していたとのことだが、驚いたことに全然ひねていない。むしろ熟成感がコクになっている。これはウマい! 「お燗にするとさらに旨いですよ」と温めて持ってきてくれた。これがまたいちだんと旨みを増して絶品! 完全にノックアウトだ。

「雨後の月」のある呉には、十軒以上の酒蔵が存在する。これは、銘醸地広島の中にあって、西条と並ぶ酒蔵のある町である。なかでも仁方町には明治時代9軒の蔵があり、その中の5軒が広島の番付でベスト10入りをしたという輝かしい過去を持つ。特に明治時代、この地方の篤醸家三浦仙三郎氏が開発した独特の軟水醸造法は、のどごしの良い甘口酒を醸すことに成功し、今日の広島酒の名声を不動のものにしたという。

そんな歴史的背景をもつ「雨後の月」は、昭和48年には純米酒を、昭和57年には大吟醸を市販し、昭和59年には貯蔵用冷蔵庫を設置するなど、早くから高級酒への取り組みを行ってきた。昭和61年からは特定名称酒にシフトし、現在の普通酒比率はわずか5%である。

昭和63年、相原準一郎氏が社長に就任すると、「雨後の月」は「品質第一」の徹底化をはかる。級別廃止後の平成4年に、当時の一級酒を本醸造に、ほどなく70%から60%精米にし、さらに全量酒造好適米にして旧一級酒とした。また、平成11年には、全体の2割を売っていた山口県の下関出張所を廃止し、より地元、地酒に特化していった。

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「問屋を通すのももうやめようと思っています。無濾過生酒や、ひやおろしなどは、酒屋直販です。県内と県外の酒は、ラベルも中身も造り分け、県外は、問屋をやめて酒屋も整理して、まったく新しいタイプの純米酒を売っていきたい。香り系の入門酒ではなく、昔の9号酵母を今の技術で造ったような酒を模索しています」

入門酒として「雨後の月」にお世話になった私としては、少し寂しい気もするが、昨夜飲ませてもらった県外向けの「辛口純米」は、たしかに飲み飽きしない良酒だった。これからは、ああいう酒を目指していくのだろうか。

「酒は嗜好品だから、自分の蔵の味を出せばいい。嫌いなら、買わなければいいだけの話」と言う相原社長。今後、東京で飲む「雨後の月」がどんな酒になっていくか、期待大である。

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相原酒造株式会社
創業明治8年 年間製造量700石
広島県呉市仁方本町1-25-15
TEL0823-79-5008
http://www.ugonotsuki.com




1網を使って麹の切り返し
2麹米は自然放冷
3枝おけを使って初添を造る
4麹蓋には布がかぶせてある
5出麹
6麹の種切り
7県内向け商品
8県外向け商品
9桃色酵母の「微紅」
10相原社長とともに


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