酔っぱライタードットコム - 造り手訪問/真澄

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「真澄」の蔵元宮坂直孝さんとは、お酒の会で何度かお会いしていて、いつか蔵見学に行きたいと話をしていた。やっとその日がやってきたのだが、取材前夜、宮坂さんは東京出張中。夜、「せっかくなので一緒に飲みたかったのですが、やっぱり帰れそうにありません」と連絡があり、私は宮坂さんがとってくれたホテルで天然温泉につかり、ゆっくりすることになった。

「真澄」のふるさと信州諏訪は、八ヶ岳、蓼科、霧ヶ峰の麓に広がる高原盆地。酒造りに適した澄んだ空気と水、冷涼な環境に加え、諏訪湖や温泉、諏訪神社に代表される史跡や祭りなど、みどころも多い。翌朝、はるかに諏訪湖を臨みつつ、雪の中を蔵へ向かった。

「七号山廃」に感動!

蔵にはまだ宮坂社長は東京から到着しておらず、先に見学だけさせてもらうことに。槽場では、粕はがしが始まっていた。ヤブタが2台あるが、大吟醸だけはフネで搾るそうだ。釜場では、連続蒸米機に米の張り込みをしていた。こちらも大吟醸は甑で蒸している。米は全量自家精米で、平均58%というから、かなりの高精白。地元の美山錦とひとごこちを中心に、兵庫の山田錦など、普通酒まで酒造好適米を使っている。

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広い麹室には簡単な温度管理のみしてくれる天幕式の製麹機があるが、そのほかの作業はすべて手造り。棚に麹蓋が積んであったので、聞けば大吟醸の麹はもちろん、酒母の麹もすべて蓋で造っているとか。この麹蓋が、使い込んでいるはずなのに、ピカピカで新品のよう! いかに道具の手入れが行き届いているか麹蓋をひとつでわかるというものだ。

酒母室は山廃もとと速醸もとに分かれていた。速醸は仕込み温度21度、2週間でできるが、山廃は5〜10度で引っぱり、30日もかかるという。山廃の最初の2週間は主に乳酸を作る時間で、速醸は乳酸を添加するので早くできるのである。速醸に入れる乳酸を見せてもらったが、一升瓶に半分ほど。「これでもうちは少ない方ですよ」という。

仕込み室には、2500キロの仕込みタンクが*本並ぶ。昔は3トン仕込みだったが、温度管理がしやすいように小さくしたという。これを日仕舞いで仕込んでいき、年間延べ130本になる。「本日は95本目の留め仕込みで、最後は4月上旬の搾りで終わりです」

「真澄」といえば、協会7号酵母が発見された蔵として有名だが、蔵の壁にはまさしく「1946 七号酵母誕生の地」というプレートが埋め込まれていた。そして仕込み室の中には「七号山廃」と書かれたタンクが! これはぜひ利き酒をしてみなければ。というわけで、そのもろみを味見させてもらうと、これが華やかさはないが、いぶし銀のようなえもいわれぬ味わいがあって絶品! うーん、さすが七号酵母発祥の地で造られた酒は違う!

日本酒を世界酒へ


蔵見学を終えると、宮坂社長もちょうど帰ってきていて、お話をうかがうことができた。もとは800石くらいの小さな蔵だった「真澄」をここまで大きくしたのは、宮坂社長の祖父・宮坂勝氏と大正8年に杜氏に就任した窪田千里氏の二人だったという。

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「この二人が、全国のいろいろな蔵を見て歩き、酒造りを研究したのです。とくに広島の賀茂鶴さんにはお世話になったようですね。よく祖父が『賀茂鶴さんの悪口を言ったら家から追い出すよ』と言っていたのを覚えています。苦労の末、昭和18年の首席受賞を皮切りに、連続入賞するようになると、『真澄』の宿舎には他社の杜氏や蔵人が押しかけ、まるで学校のようだったそうです」

「もしかして、出羽桜さんが勉強に来ていたのはその頃では? 先代の社長が真澄さんにお世話になり、その酒に心酔して、息子に「益美」と名付けたというのは有名な話ですよね?」

「ええ、そうです。私が1983年に蔵へ戻り、いろいろな蔵をまわって勉強させてもらったとき、『お宅の蔵とは昔よきライバル関係だった』と皆さんから声をかけられ、祖父の足跡を感じたものです。祖父は80歳を過ぎても、毎日8時には出社し、試験管で利き酒をし、昼から泥酔してまた夜も泥酔、という生活でした。そして、一口飲んで『お、これは!』というような個性的な酒でなく、『いつのまにかなくなっているような飽きのこない酒を造れ』と言っていましたね」

まさに七号酵母はそんな性格なのではないだろうか。宮坂社長によると、「七号山廃」などは、今ニューヨークでバカ売れしているという。「香りが強すぎる個性的な酒は、『人工的だ』と添加物を疑われるのです」と宮坂社長。

もともと「真澄」は問屋を通さず、特約店のみに絞って販売してきた。「真剣に造った酒が、問屋の倉庫に入れられて、でたらめなところに売られたら嫌でしょう?」というのだ。アメリカでも、熱狂的に「真澄」が好きな人だけに売っている。そのためのアメリカ人スタッフもかかえていて、「めちゃくちゃお金がかかる」けれど、「いいものを造るのは当たり前。いい品質のものをどうやってお客さんに届けるかが大事」という。国内市場の再開発のために海外への輸出は力を入れていて、今は5%程度だが、将来的には20%を目指しているとのことであった。

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酒蔵の一角に、セレクトショップとテイスティングルームを作ったのも、消費者との接点をもちたいと思ったからだ。「海外のワイナリーには、テイスティングする場所が必ずあるでしょう? それを見て、日本酒を啓蒙する場がもっとあってもいいと感じたのです」

蔵元ショップ「Cella MASUMI」は、宮坂社長の奥様が経営。酒器や小さな七輪などのお酒まわりの小物やおつまみが、美しくディスプレイされていて、奥にはテイスティングルームがある。300円でグラスを購入し、5〜6種類のお酒を試飲できるシステムだ。グラスは記念に持ち帰れる。

せっかくなので、私も試飲させてもらった。まず普通酒の「辛口ゴールド」から。これはマイルドで、甘みを感じるほど味があるが、スッと切れるのどごしはたしかに辛口だ。しかし、テイスティングルームに普通酒をさりげなく置けるというのは、よほど酒造りに自信があるのだろう。「奥伝(純米)」は、酸がしっかりあり、飲み応えがある。日本酒好きならホッとする味だ。「辛口生一本(純米吟醸)」は、スッキリしていながら旨みもある。「あらばしり(吟醸生原酒)」は、まろやかでウマい。きわめつけは「七號(山廃純米大吟醸)」。山廃といってもごつい感じや雑味はまったくなく、バランスがすごくいい。これは激ウマだ!

しかし、「真澄」はこれだけ大きな蔵で、何種類もお酒を造っていておかしくないのに、他社に比べると驚くほどアイテム数が少ない。「酵母や米を何種類も使って、たくさんアイテムを増やしたら、造る方がいつまでたっても一つの酵母や米に精通できないのではないでしょうか」と宮坂社長は言うのである。

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その後、少し離れた「富士見蔵」へ移動。先代杜氏の久保田良治氏設計の蔵は、広々としていて仕事がしやすそうであった。基本的には諏訪と同じアイテムを造っているが、富士見蔵には冷蔵庫があるので生酒を、諏訪には瓶詰めラインがあるのでしぼりたてを造るなど、ちょっとした造り分けがある。また、富士見の水は辛口に合っていて、諏訪はどちらかというとマイルドな酒になるそうだ。

宮坂社長は言う。「いい酒を造るだけでなく、それをお客様の手元まで確実に届けること。酒のある食卓のために、酒器や食べ物を提案すること。日本酒を世界酒にするために輸出を促進すること。酒蔵は文化の担い手となること。以上のことを目標に、これからも『真澄』を育てていきます」

祖父の代から数えて3代。高い志をもつDNAは健在であった。

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宮坂醸造株式会社
創業1662年 年間製造量11000石
長野県諏訪市元町1-16
TEL0266-52-6161
http://www.masumi.co.jp




1広い麹室
2酒母の麹はすべて麹蓋で造る
3麹米の引き込み
4仕込み室
5大吟醸の仕込み室
6コンピュータで温度管理をしている
7七号山廃のタンクがあった
8蔵にはこんなプレートが
9テイスティングルーム
10利き酒をする
11セレクトショップ
12「真澄」のお酒
13分割式の甑(富士見蔵)
14酒母室(富士見蔵)
15仕込み室(富士見蔵)
16宮坂社長とともに

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