酔っぱライタードットコム - 造り手訪問/天寶一

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「天寶一」の蔵元、村上康久さんに取材を申し込んだとき、すぐにOKを出してはくれなかった。そのとき言われたことはこうである。「自分は、どうしても『天寶一』を扱いたい、という酒屋さんとしか取引をしない。するとしても一度は蔵へ来て酒造りを見てもらい、一緒に飲んで腹を割って話さないと納得しない。取材にしても、なぜ『天寶一』なのか、どこが見たいのかということがはっきりしないと受けられない」
しごくもっともである。

村上社長とは、広島でお酒の会があったとき、飲み会の席で一緒になった。そのときは杜氏さんや蔵人さんも来ていて、みんなで和気藹々と飲んでいた。その様子を見て、「天寶一」は蔵元と蔵人の垣根がなく、和やかな人間関係の中で酒造りをしている蔵なのだと思ったのである。

口に入れる食品、とくに酒は怖い。造った人の魂が乗り移っているからだ。だからしかめつらして苦しんで造った酒より、和気藹々と楽しく造った酒を飲んだ方がいい、と私は思っている。直感的に、「天寶一」は後者の酒なのではないかと思ったのだ。

また、村上社長の「酒そのものが主張するのではなく、和食を生かす名脇役としての酒を造りたい」という話に共感するところがあった。個性的な酒、一口飲んで主張してくるような酒は、おもしろいし感動もする。私も日本酒初心者の頃は、そんな酒ばかり飲んでいたように思う。

しかし、そういう酒は自己主張が強くて飲んでいるうちに疲れてくることがわかってきた。そして、これといって特徴はないのに、なぜか飲み飽きせず、飲み続けられる酒を求めるようになっていった。まさにそれは村上社長の言う「主張しない酒」なのではないだろうか。
私は「天寶一」を飲んだことはなかったが、蔵の性格や蔵元の考え方に興味をもち、「きっとこの酒は旨いに違いない」と思っていることを、村上社長に伝えた。すると、ようやく取材の許可をもらうことができたのだった。

酒販店とは腹を割って話す


取材前夜、村上社長の案内で、福山市内の小料理屋へ行き、初めて「天寶一」を飲んだ。しぼりたての生酒である。広島の酒は甘口というイメージがあるが、「天寶一」はちょっと違った。しかし辛口というわけでもない。米の旨みはちゃんとあるが、サラリとキレる。いわゆる「良い酒」。こういう酒を造るのは難しいだろう。つまみに出てきたサヨリの刺身や、牡蠣のバター焼きを、じゃますることなく引き立ててくれる。

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飲みながら、村上社長はいろいろな話をしてくれた。学生時代は空手や柔道をやる武闘派だった。その後、建築資材の営業マンをやり、29歳で蔵へ戻った。醸造試験場に3ヶ月間通い、酒造りを習得。その後は10年、杜氏になれるくらい蔵の仕事をした。今は「和食の名脇役」になる酒を造り、「運命共同体」としての酒販店は、本当に「天寶一」を売りたいというところ50軒にしぼっている。

そんな村上社長も、はじめは「売れる酒」を造ろうと思っていたという。「今は生もとと出品酒以外は9号酵母ですが、昔はカプロン酸の香りの強い酒をつくっていました」しかし、そういう酒は、自分が飲んでいて飲み飽きしてしまう。やがて、自分の好きなものを造るのが正しいのではないか? と食中酒を目指すようになったという。

売り上げはいったん落ちたが、「酒を気軽にヨメに出したからいけなかったのだ」と反省し、酒販店さんとしっかり飲んで話してわかってもらうことを心がけた。そして出したのが「お燗酒」であった。世の中冷や酒ばかりの時代、誰もやっておらず、売れるかどうかは賭だった。しかし、蓋を開けてみると、すぐに売り切れてしまったのだという。それは、酒販店さんがお客さんに、きちんと村上社長の心を伝えてくれたからであった。それからは、夏は「辛口吟生」、冬は「お燗酒」が「天寶一」の定番商品になっている。
村上社長は話し出すと止まらず、次から次へと杯があいた。シメにお好み焼きのような「トンペイ焼き」なるものを食べ、お開きとなる頃は、すっかり夜は更けていた。村上社長は思った以上に、熱い人であった。

手造りで小さい仕込みに


翌朝蔵へ行くと、休憩所には、以前会ったことのある高田直樹杜氏がいた。高田杜氏は蔵へ入って10年、杜氏歴3年である。もとは会社員をしていたが、「日本文化に携わりたい」という志をもって、日本酒造りを始めた。夏は農業をやり、食米を作っているという。蔵人は杜氏も入れて4人、そこへ村上社長が加わり、5人で500石を造っている。
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釜場では、ちょうど米が蒸し上がったところであった。蒸し米を掘り出し、自然放冷をしてから麹室に引き込む。麹米は放冷機を使わない。「甑は麹用と掛け米用の2台あります。それを時間差で使っている。650キロの甑に600キロ入れたらダメで、6〜7割がいいところ。そうすれば、ベタつくことなく、ふかふかの蒸し米ができます」

麹室では、3時間に一度、麹蓋の積み替えをする。麹はすべて蓋で造っているというから、たいへんな作業量になる。麹蓋を汚したくないので、布をかぶせ、その上に麹を盛っている。麹蓋を洗うかわりに、布を洗えばいいのでこのほうが楽だし衛生的なのだ。

本日の仕込みは、生もとの留め。生もとは、蔵つき酵母が自然にわいたもので、酵母の添加はしていない。しかも、暖気樽も櫂棒も、生もとの場合はわざわざ木製を使うという。「速醸は乳酸を入れるので、リスクは少なく早いですよね。でも、本来の生命力を持った生もとを造ることで、造りの基本がわかるのです。それを速醸に応用していきたいと思っています」

仕込み室にあるのは、主に1トンの開放タンクだ。すべて泡あり酵母を使っているのは、泡の状態で様子をみるため。タンクの蓋には防腐剤の役目をする柿渋が塗ってある。ちなみに袋搾りの袋も、柿渋入りの木綿の袋だ。丈夫で匂いもつかないという。酒蔵の昔からの知恵である。


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蔵の作業が一段落したところで、利き酒をさせてもらった。「特別純米 八反錦」は、まだ若い感じなので、もう少し寝かせると良くなりそうな予感。「山田錦 純吟」は、やわらかくて上品な印象。「中汲み 千本錦 純米」は、酸があってしっかりとした味わい。お燗にいいのでは? 「生もと 純米」は、コクがあって複雑で力強い。酒を飲んでいるという充実感があり、すばらしい酒であった。

村上社長が蔵へ戻った頃は、まだ大きなタンクに大きな甑、自動製麹機が入っていた。それを徐々に、小さな甑にして、麹を手造りにし、仕込みを小さくしていったという。また、手洗い、瓶洗いを徹底し、蔵を磨いてきれいにした。汗臭い酒、変な酸がある酒は、まず汚染されていると言っていい。蔵をきれいにするだけで、酒はガラリと変わった。

今年は196メートルの井戸を掘って水を変えた。もとの水は、あまり酒造りに適しているとはいえなかったが、今の水は軟水のうえに、酵母の発酵を促す成分も入っているという理想の水だった。おかげで酒質はすごくクリアできれいになり、口あたりの良い酒ができるようになった。「妥協しないで掘って良かった。これであと100年くらいは大丈夫です」

進化をとげた「天寶一」は、料理の名脇役として、ますます本領を発揮することだろう。今年のひやおろしが楽しみである。

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株式会社天寶一
創業1910年 年間製造量500石
広島県福山市神辺町川北660
TEL084-962-0033
http://www.tenpo1.co.jp




1蒸し米を掘り出す
2麹米は自然放冷する
3麹米の引き込み
4仕込み室
5麹の種切り
6麹蓋に麹を盛る
7麹蓋には布が敷いてある
8出麹
9「天寶一」のお酒
10村上社長とともに

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